京都 貴船神社

国内旅行

万物の命の源である水の神、高龗神を祀る、全国二千社を数える水神の総本宮の京都、貴船神社に行ってきました。

スポンサーリンク

貴船神社 奥宮

貴船神社には 本宮・結社・奥宮 の三社のお社があります。

貴船神社の奥宮の場所は、もとの本宮があった場所(貴船神社が創建された場所)です。

1046年(永承元年)に社殿が流失し、1055年(天喜3年)に現在の本宮の場所に社殿を再建・遷座され、もとの鎮座地は奥宮とされています。

今回は、貴船神社創建の地、奥宮に行きたかったので、本宮を通り越して、貴船川沿いの道を上って行き、奥宮の駐車場に車を止めることにしました。

 

 

駐車料金は800円。これより先に駐車場はなさそうです。

貴船川のせせらぎや木々はそれだけで癒やされます。

 

 

 

思ひ川

駐車場から少し下って「思ひ川」を渡ってから奥宮に向かいました。

赤い小さな橋が,「思ひ川」という貴船川にそそぐ小川に渡されています。
まだ社殿が今の奥の宮の場所にあった頃、人々はこの小川で手や口をすすいで身を清めてから参拝したのだそうです。

和泉式部の復縁エピソード

和泉式部がこの貴船神社で願掛けをして、離れてしまった夫の心を見事とりもどしたときの和歌が残っています。
『物おもへば 沢の蛍も我が身より あくがれいづる 魂かとぞみる』

(もの思いをしていると、川の上を飛ぶ蛍が、まるで我が身から抜け出た魂のように見えるわ)

すると貴船の社殿の中から、返歌が聞こえてきたというのです。

『おく山に たぎりて落つる瀧つ瀬の 玉ちるばかり 物なおもいそ』
(奥山の滝の水が飛び散るほどに、深く思いつめたりしなさるな)

このことがあってからしばらくして、願いが成就し、元通りの夫婦円満になったということです。

この和歌を詠んだとされる場所に『思ひ川』と書かれた橋が架かっています。

和泉式部の時代では、この奥宮が本宮だったので、この小川で手や口をすすいで身を清めてから参拝したのだということです。

縁結びの神様で、和泉式部をはじめとして、たくさんの人々がそれぞれの「思い」を持ってこの川で禊ぎを行ったので「思ひ川」なのだそうです。

奥宮の門

奥宮の門が見えてきました。
森に囲まれた神聖な場所にあります。

相生の杉(御神木)

奥宮の門をくぐる手前に、樹齢1000年になる同じ根から生えた二本の杉があります。

この杉は「相生の杉」と呼ばれています。

「相生」は「相老」に通じ、ともに年老いるまで仲良くよりそって生きていけるようにという願いが込められており、夫婦円満の象徴として御神木になっています。

「連理の杉」

奥宮の門をくぐって境内に入ると、今度はまるで一本の木のように成長した杉の木と楓の木があります。この木は楓と杉が和合したもので、大変珍しいものです。
樹齢1000年ともいわれ、「連理の杉」と呼ばれています。

「連理」とは、別々の木が重なって一つになるという意味で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいうそうです。

 

貴船(キフネ)神社の起こり

社伝によると、
「約1600年前の第18代反正天皇(在位406~411)の御代、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の娘で、神武天皇の母とされる玉依姫(たまよりひめ)が、浪花の津(大阪湾)から黄色い船に乗って、淀川、賀茂川、貴船川をさかのぼり、現在の奥宮の地にたどり着いた。ここに清水の湧き出づる霊境吹井(ふきい)を見つけて、一宇の祠を建て水神を祀り、「黄船の宮」と称し崇めた。」
と伝えられています。

舟形石

奥宮本殿の西側にある「船形石」は、玉依姫が乗ってきた黄船を、人目に触れぬよう石で覆ったものといわれています。

 

貴船の名は、玉依姫が乗ってきたこの「黄船」に由来するといわれていますが、古くは貴布禰、木船、氣生根、木生根(木生嶺)などとも表記されていたということです。

「日本三大龍穴」霊境吹井

奥宮の霊境吹井は、「日本三大龍穴」の一つで、今も本殿の下に納められています。

文久3年(1863)の本殿修理の際、大工があやまってノミを龍穴の中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、突風が吹きすさんで、ノミは空中へ吹き上げられ屋根に戻されたそうです。

それからほどなくして、大工は命を落としたといわれています

そんなこともあって、この龍穴は人目を忌むため誰も見てはならないという厳しい決まりがあり、平成24年の本殿解体修理では約150年ぶりに、龍穴を人目に晒すことなく作業を行う附曳神事(ふびきしんじ)が復活されたようです。

御祭神、高龗神(たかおかみのかみ)

祭神は水を司る神・高龗神(たかおかみのかみ)、または闇龗神(くらおかみのかみ)そして、罔象女神(みずはのめのかみ)とも記されています。

いずれも水の神で同神異名とされていて、高龗神の「高」は高い峰を、闇龗神の「闇」は深い渓谷を、罔象女神の「みずは」は泉・井戸を想起させる言葉です。
古来の水神信仰に合わせて神の名も変わったのでしょう。

古代において、祈雨・止雨の奉幣祈願は、為政者がなすべき重要なまつりごとでした。
賀茂川の水源域にある貴船は、奈良時代の大和の室生龍穴神社、吉野の丹生川上神社につぐ、あらたな祈雨・止雨の祈願所として朝廷から篤い信仰を得るところとなったようです。

神話:イザナギ・イザナミの子、カグツチ神の血から生まれた高龗神

日本神話の中の神産みの場面の中で、イザナギイザナミとの間にカグツチが生まれるのですが、カグツチが火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができてしまい、これがもとでイザナミは死んでしまいます。

このことに怒ったイザナギは十拳剣でカグツチの首を落として、殺してしまいました。

このときに切った剣から滴った血から生まれた神さまが水の神、高龗神です。

古文書『黄舩社秘書』

貴船神社には、表紙に「不許他見(たにみせるをゆるさず)」と記された『黄舩社秘書』が残されています。

これは、貴船神社で神職を代々務めた舌(ぜつ)家の貴重な縁起書で、社人・舌宗富により宝暦4年(1754)以降に書かれたものとされているそうです。

遥か昔、貴船の神々が天下万民救済のために、天上界より「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に、貴船山の中腹にある「鏡岩」と呼ばれる磐座に降臨された。
従者として仏国童子(牛鬼)も降りられたが、はなはだ饒舌であったこの童子は、神界のことは一切しゃべってはならない、という戒めを破り、誰彼構わずに神界の秘め言をしゃべってしまったそうです。

これが貴船大神の怒りに触れ、童子は舌を八つ裂きにされ、貴船を追放されました。
童子はいっとき吉野山に逃げたのですが、やがて貴船に帰り「鏡岩」に隠れていました。

3年目にしてようやく許され、再び貴船大神に召しかかえられます。

その後、仏国童子の子孫4代目までは鬼の姿をしていたが、5代目にしてやっと人間の姿になり、先祖の苦難を忘れぬために名字を「舌(ぜつ)」と名乗ったそうです。
また、『黄舩社秘書』の巻末には舌家104代までの系図が残されていて、
残念ながら舌家の本家筋はすでに絶えてしまったようですが、分家筋の血脈は今も貴船の地に受け継がれているということです。

結社(中宮)

本宮と奥宮の中間にあるのが中宮の結社です。

御祭神は、縁結びの神として信仰される磐長姫命(いわながひめのみこと)です。

伝説によると、

天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、木花開耶姫(このはなさくやひめ)に求婚したとき、父の大山祇命(おおやまつみ)は姉の磐長姫命も差し出したのですが、瓊瓊杵尊は木花開耶姫だけを受け入れ、姉の磐長姫命
を返したのです。

それを恥じた磐長姫命は、「縁結びの神」として良縁を授けるために、貴船の地に鎮まったのだということです。

縁結びの特別祈願や結び文などができるような場所が設けられていました。

日暮れも近くなっていましたが、平日にもかかわらず、ひとり、またひとり、と結び文を書く若い女性の姿が見受けられました。

何かと、エピソードが豊富な貴船神社です。
今回は中宮と奥宮しかお参りできませんでしたが、どれほどの女性の願いを飲み込んできたのでしょうか。他の神社とは違う儚げな優しい神社でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました